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久しぶりに茂木健一郎氏のブログ「クオリア日記」に
興味をひかれる記事が載っていた
それは「ゆらぎ」を研究する大阪大学医学部の柳田敏雄氏のこと

20数年前にドイツのヴァルドルフ学校で、工芸担当の先生が
水を満たした木箱の水面すれすれに渡したピアノ線を弾き
細かな大鋸屑を散らした水面に現れる「ゆらぎ」の模様を
見せてくれたことを思い出した
音と共にゆらぎが始まると、まるでそこから脊髄が生じてくるかのように
曲線が交錯し節をつくっていくのが見えたのである

あれは確か、マックスプラング研究所が行った研究に
刺激を受けて装置を作ったのだという説明だった
生命誕生の経緯とは、実はこんなゆらぎが発端だったのかも
そう実感させてくれた装置だった

阪大の柳田先生も目指しているのはこういうことなのかも
生命の誕生の根源に迫ろうとされているのじゃないかしら
と思った次第です

【2008/07/17 11:22】 | 茂木健一郎氏と脳の話 トラックバック(0) |
今日の茂木健一郎氏の日記を読んでいたら、氏がキャスターを務めておられる
NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」のことが書かれてあった
今日の放送は堀川高校の校長先生、荒瀬克己氏が出演されるとか
教育には人間形成についての哲学が必要だと
どのような内容なのか、楽しみです

それから、先週の内容についてのNHKのスタッフブログ
環境金融コンサルタントの吉高まりさんのことについて
住吉美紀アナウンサーが書かれた記事が印象的でした
プロフェッショナル すみきち&スタッフブログ

この中で引用されていた茂木先生のことば
「人間の脳って不思議なんですよ。
 自分でも気付かない、眠っている能力っていっぱいあるんですよ。
 それが30とか40になったとき、突然、
 なにかの機会に開花するってことがあるんですよね。
 実際40代になってから新しい能力が開花する可能性だってあります。
 脳って本当にジャングルみたいに複雑なものでね。
 いろんなものが眠っているんですよ、それこそ無意識の中にとかね。
 自分でも気付かない能力なんてたくさんありますよ。
 とにかく、本当にごく普通の人の脳の中にも、
 一生使わないで終わっちゃう潜在的な能力が、たくさ〜ん眠っているんですよね。
 もったいないですね。もったいないと思います。
 それが、新しいことに挑戦すると、ひょっとしたらその新しいことが、
 自分の中の眠っている能力を開花させるきっかけになるかもしれない。」

山形でパステル画を知った人々の中にも、このように絵に対する
自分の新たな能力に目覚めた方が居たように思います
その方たちのこれからの活躍が楽しみです!

【2007/10/16 10:45】 | 茂木健一郎氏と脳の話 トラックバック(0) |
> 美しいものや、やさしきものも感じられる一方で、
> 苦しいこと、恐ろしいことも認識できる。 
> 「意識」というシステムは、なぜそのような
> トラップを用意しているのか。

> 歩きながら考えていたら、ああそうか、
> 私たち一人ひとりが、キリストなのだと気がついた。

> 人類の罪を全て背負って、大変な苦痛の中で死んでいった
> キリストと同じ苦難を、私たち一人ひとりは経験する。
( 茂木健一郎氏のブログ「クオリア日記」より一部引用 )


クリスチャンでもない自分が、なぜに『受胎告知』の絵画に
心惹かれるのだろうかと考えるとき、それは茂木氏が「クオリア日記」
3月22日付に書かれたこの言葉のように思えるからなのだろう、と。

このような考え方は従来のキリスト教においては異端とされてきた。
しかし、心ある一部の人間たちに、それは脈々と受け継がれてきた考え方でもある。
おそらく、ダ・ヴィンチやゲーテもそういう一人だったのではないか。
そしてこの考え方に従えば、宗教・宗派の違いはもはや意味を成さず、
全ての人類がかけがえの無い存在であり、互いに敬意を払い合うべきである、と。

もしかすると、自然の中に様々な『神』を見出してきた
私たちアジアの人間にこそ、「キリスト」理解は容易なのかもしれない。
この世に生まれ、味わうことの許された様々な
喜び、悲しみ、苦しみ、怒り、美への憧憬に
身を任せて生き切って、この生を謳歌したいものだ。

【2007/03/22 11:20】 | 茂木健一郎氏と脳の話 トラックバック(0) |
茂木健一郎氏のブログ内容は、いつも私に新たな刺激を与えてくれる。
氏がレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を見て感じたこととして
以下のような文章が掲載されている。
(以下「クオリア日記」より一部引用)

>絵というものは、筆で色をの載せた瞬間に、
>そのまま止まっているものであり、
>その後は、画家あるいは他の人間が
>何か手を加えない限りそのままでいる。

>つまり、そこに現出しているのは
>「死」そのもの。
>画家は、生身の肉体として
>息づきながら死に向かい合っている。


確かに、画家がある絵を描こうとして画面に向かい
描かれる内容の如何によらず、描き方として
過去のある瞬間に思い描いた場面を表現しようとして
絵筆を動かし描いていくならば、
それは「過去」に向かって描かれる絵画となるだろう。

しかし、画家が何の作意も持たずに画面に向かい
色を広げつつ、この一瞬一瞬の「現在」を重ねながら描き、
やがて来る[未来」にその絵画が完成するとき、
それは「未来」を志向している絵画と言えるのではないか?

そんなことを考えながら、これまで三原色による絵画制作を
25年以上にわたって続けてきた。
自分自身を「画家」とは思っていないが
それでも私は「死」を超えた「生命」が息づく絵画が
存在するのではないか、未来に向かう絵画のあり方が
あっても良いのではないかと思っている。

音楽や芝居のように時間の中で紡ぎ出されていく芸術の様式とは
また異なる様式ではあっても、絵画が過去や死ばかりを内包して
いるのではない、新たな芸術衝動として捉え直されようとして
抽象絵画が始まったのではなかったのか、と。

【2007/03/20 13:07】 | 茂木健一郎氏と脳の話 トラックバック(0) |
時々、茂木健一郎氏のブログをのぞいています。
今日の「クオリア日記」に、氏が2月26日に松山で行われた
講演の記録がMP3でUPされていました。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

脳科学者である茂木氏によると、美しいものを見ている時の人間の脳は
「うつ」のときに活動が低下する、前頭葉のある領域の活動が
活性化するのだそうです。
特に、美しいと思うものに出会ったら、長い時間それを見続けると
脳がポッカポッカしてくるとか。
茂木氏自身が、上野の国立博物館で長谷川等伯の「松林図」を
2時間くらい見続けたときそうだったと語られていました。

また、誰かの受け売りでなく、自分の言葉で語ることが大切で、
自分自身が「美しい」と思うものを見出すそのとき、
自分の中で、世界と自分が出会う瞬間であり、それが「美」であると。
そういうときの脳は、側頭連合野が活動しているそうです。


ってことは、パステル画のワークショップにも、
人間の脳を活性化させる働きがある、ということ?
この辺りのことを更に追求していきたいものです。



【2007/02/28 13:47】 | 茂木健一郎氏と脳の話 トラックバック(0) |


藤丸
あー!うすぴーちゃんだったのですね!ありがとうございます! (^^)/これからも がんばりまーす!

カキコミしたのは
管理人
お久しぶりです!オーロラの回にカキコミしたのは私です。
いろんな創作していらっしゃる藤丸さんの脳はすご〜く活性化されてますね、きっと。次回作にも期待です。



藤 丸
何か、創作してる時って わくわく、ゾクゾクしてきますもんね!きっとそうなんですね。私も、日々の生活の中で、脳活性化していきたいです。
ブログに、オーロラ描いてみましたー(^^)2/23

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